月刊誌『致知』のバックナンバーより
感動実話をご紹介いたします。

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 一日一言 平成27年5月10日(日)
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    『致知』2009年1月号
      「おやじの弁当」
   中條高徳(アサヒビール名誉顧問)

その昔、我が国はいまの若者たちが
考えに及ばないほど貧乏な国であった。

しかし、その頃の家庭にはぬくもりがあり、
総じて明るかった。
親子の情は濃く、長幼の序は厳しく、
そして礼儀正しかった。

母親は総じて寡黙でつつしみ深く、
人前、とりわけ子供の前は父親を立てた。

来日した著名な外国人たちが、口を揃えて
礼節の国」「道義ニッポン」と讃えてくれた国でもあった。

六十三年前、世界の大国と戦い、そして破れた。

戦後は食べるに食なく、
着るに衣のないどん底の生活を体験しながらも、
我が民族は汗と涙で経済大国を築いてきた。

民族の底力と誇っていい。

しかし、富(豊かさ)の構築とほぼ比例するように、
表現を変えれば、築き上げた富と引き換えるように
民族の美点、長所を失ってきた。

悲しいまでの現実の日々である。

人間の倫理の道を説いた
倫理研究所創設者・丸山敏雄氏は
「子は親の心を実演する名優である」
と説かれている。

筆者にとって大事なお得意先であり、
長い交友の経営する「三笠会館」という
有名なレストランが銀座にある。
その三笠会館より以前発行された『るんびにい』241号で、
故・樋口清之教授(国学院大学)の随筆が
戦前の家庭の姿、
親子の生き様を語って余すところがない。

樋口さんの友人で、
よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。

その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。

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彼はある日、母の作る父の弁当を
間違えて持って行ってしまった。

彼曰く、
「おやじの弁当は軽く、
俺の弁当は重かった。

おやじの弁当箱はご飯が半分で、
自分のにはいっぱい入っており、
おやじの弁当のおかずは味噌が
ご飯の上に載せてあっただけなのに、
自分のにはメザシが入っていたことを、
間違えて初めて知った。

父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は
一切黙して語らず。
肉体労働をしている親が
子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。

これを知った瞬間、
「子を思う親の真(愛)情」が分かり、
胸つまり、涙あふれ、
その弁当すら食べられなかった。

その感動の涙が勉学の決意になり、
涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓ったという。

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それに引き換え、
戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、
「お父さんの弁当の中身は少ないが、
お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」
などと発言しがちであるが、
それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と
生意気な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。

この「おやじの弁当」の心こそ、
仏道で説く「陰徳」(いんとく)の妙法(みょうほう)であり、
「慎独」(しんどく)の実践なのである。

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